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  小至明旦一陽来復(コラム)


 杜甫に「小至」という七言律詩があります。「小至」とは冬至の一日前。冬至後一日という説もありますが、明日が冬至です。
  「小至」   杜甫
 天時人事日相催,冬至陽生春又來。
 刺繍五紋添弱線,吹葭六管動浮灰。 (飛灰)
 容待臘將舒柳,山意衝寒欲放梅。
 雲物不殊郷國異,教兒且覆掌中杯。
  天時人事 日に相ひ催し、
  冬至陽生 春又来たる。
  刺繍の五紋 弱線を添へ、
  吹葭の六管 浮灰を動かす。
  岸容 臘を待ちて将に柳を舒し、
  山意 寒を衝(つ)き梅を放たんと欲す。
  雲物殊(こと)ならずも 郷国異にす。
  児をして且つ掌中の杯を覆せ教(し)む。
・催:急(せ)きたてる。
・刺繍…:春の準備として春の祭祀のときに着る「刺繍五彩雲」の紋(あや)がある礼服を整える様子を言うか。
・吹葭:古代の気をうかがう法。天地間の六種の気「陰・陽・風・雨・晦・明、または寒・暑・燥・湿・風・火」を探る法であったか。
・臘:冬至の後、第三の戌の日に百神を合せまつる。又、其の祭=蜡祭、年末に行う。
・舒:伸ばす。
天時も人事もおしせまり、
冬至を迎え陽気の生れるの季節春がまた来ようとしている。
日がのびて女人の刺繍する五色の紋に細い糸が増し、
気をうかがう儀式の六管に葭の灰が散り集まって(まさに春が来ようとしている。)
岸の様子を見ると蝋祭の近づくのを待って柳が芽を伸ばそうとし、
山の様子をうかがうと寒を突いて梅の花が開こうとしている。
雲の流れる様は違うとも見えないが、ここは故郷とは違った土地、
稚児に命じて飲んでいた掌中の杯を伏せさせた。

 杜甫の生活が比較的安定して、気持も比較的落ち着いていた時期のもののようです。冬至前後の季節の移ろいを、春の準備や春迎えの儀式、河辺の柳の芽のふくらみや山の梅の花ほころびを、冬の中に春をはぐくんている光景として描き出しています。後の2句には流れゆく雲に故郷を思い、異郷にあることを改めて痛感しながらも、痛飲する杯をふせるという所作に杜甫の気持を読むことが出来ます。
 「冬至陽生春又来」と詠っていますが、明日は「一陽来復(いちようらいふく)」です。これは、易で、陰がきわまって冬至に陽が初めて生じることから、冬至を指します。
 さて、これを機に世の中「一陽来福」とはならないものでしょうか。
              (二〇〇八・一八・二〇)
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# by teinen-t | 2009-11-28 22:05 | コラム

  冬の風(随感)


 昨夜流星を見てみようかと外にでて夜空を眺めたがあまりの寒さにすぐ部屋に入ってしまった。が、星は満天に輝いていた。
 林道を歩けばすすきも枯れていて冬枯れの山の雰囲気である。庵の裏の川沿いに紅葉が少し残っているところを見つけたばかりでやはりもう何処も冬になってしまった。陽射しがあれば暖かく枯草に腰を降ろしてひなたぼっこもできるが、それも一時、風が吹いて来るとそれはまさに冬の風であった。
 隣の別荘の庭の草が刈られ新たに木が植えられていて、最近使われている様子だったが、今日人の気配に出てみると初めて会う人でこれまで来ていた人の姉という。楽しみと管理の厄介さとを語っていたが、まあそれが別荘というものだからやむを得まい。こちらも剪定草苅落葉掃きをとりあえず格好がつくくらいに済ませた。   (二〇〇七・一二・一六)
 杉戸の庵に来て、一昨日、70本の竹を買ってそのうちの50本で竹垣を作り替えた。切り揃えて棕櫚紐で結わくだけだが、途中で紐が足らなくなった。しかしこれだけの作業で腰が辛くなった。
 それで昨日は足腰が痛く、何もできない。雨模様でもあったので、ひたすら本を読んでいた。朝読み出して今朝まで二六時間、この間数時間毎の食事だけはしていたが風呂にも入らず読んでいた。こんなに集中したのは久方ぶりであった。  (二〇〇七・一二・二四)
 正月に咲かせようと部屋に入れておいた盆栽の梅が気がついたら早くも咲きそろっている。庭の豊後梅は蕾の気配も無い。
 梅で思い出す歌に
  勅なればいともかしこし鶯の宿はと問はばいかがこたえむ
があるが、これは大鏡に貫之の娘の歌としてが記されている、「鶯宿梅」の故事でもある。(恐れ多くも天皇のご命令ですので、この梅は献上いたします。でもこの梅を棲家とする鴬がまた今年もきて「私のお家は?」と聞いたら、私は何と答えればよいのでしょうか。)
 その梅を「鶯宿梅」と名付けて娘に戻し、代わりに桜を植えたという。これが今日の「左近の桜」になったという人がいるが、紫宸殿ではないのだから疑わしく、はっきりしない。   (二〇〇七・一二・二六)
 このブログを始めてから俳句を試み始め、ネット句会に参加するようになって一年半経つ。なかなかわかったという感じがしない。もう少し続けることだろうと自分に言い聞かせ、これが来年に継続することの一。
 さて、この暮れに保険庁から「年金請求書」が送られてきた。これで来年からは、社会から「老齢」と定義されてしまうのかと悟る。   (二〇〇七・一二・三一)
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# by teinen-t | 2009-11-28 22:03 | コラム

十二月の句

《句会で》
  望み葉の温き匂ひや山深し
  千両の下葉を摘むや実の赤し  二〇〇六年
  旅の雨ヒーター尻に熱きほど  二〇〇七年


《冬日和》
 庭をいじって半日を過ごす、冬と言え穏やか日和で気持ちよい。 
  風の音少し遅れて冬紅葉
              (二〇〇六・一二・二)

《冬の月》
 今日は特に月が冴え渡っている。十四日の月であるらしい。冬の方が寒さの中で月は冴えて美しい。復活してしまった煙草をその月の光の中で吸っている。今日も一日庭をいじっていた。実に穏やかに一日が過ぎていく。これでいいのかどうか?
  炬燵居の娘に作句教えらる
  望月に鳥の鋭き冬冴ゆる
  テレビ見る娘の涙燗の酒
   娘の見ているのは和久井映見の「君が光をくれた」というもの。
              (二〇〇六・一二・四)

《留守居》
 俳句を始めて一年。上手くなっているとは思えない。句会では始めた頃の方が評価されていて、最近は採ってくれる人が少ない。々感動することがないせいか。惰性でも駄句ばかりでも続けていればたまには人並みのものも生まれるかと気楽に続けて行くしかないかと書いているが、これは読む人には迷惑な話だ。
  歳時記をめくりて寒き庭に立つ
  木枯らしや舞ひ行くものを見定めぬ
  宮裏の葉落ちし枝に鷦鷯(みそさざい)
  望み葉を鼻で掻き分く犬も居て
  海鼠腸(このわた)に焼酎割りの留守居かな
              (二〇〇六・一二・八)

《暮れる町》
 縁者からの電話が続いてあった。勧誘の電話の後だったりするとぶっきらぼうな応対になっていたりしたが、突然の懐かしい声に〇〇ちゃんと応えたりしている。 相手はもう七〇才になろうとする方、しかし他の呼び方が思い浮かばない。互いに一〇代の頃が思い浮かぶのか、ちゃん付けの呼び方しか出てこない。六・七〇才台の人をちゃん付けで語るのはなんとも不自然なのだが、咄嗟には名が出てこないのだ。まあ、話しなそのほうがはやいのだから、いいとも言えるが、端で聞いたらおかしいだろう。そういえば最近思い出すにあたって時間軸を遡って行くのではなく、ぽんと若い時の記憶に跳んでいたりする。逆にこの間を思い出すのに努力がいったりする。これは老化だろうか、アルツハイマーだろうか!
 久しぶりに庵に来た。北側の一本に紅葉が少し残っているばかりであとはみなすっかり散り落ちていた。
  畑中の庭にそれぞれ柿蜜柑
  垣に這ふあせびの枯れて山暮るる
  曇天の暮れてどこまで枯れすすき
  冬ざるる海遠望の町暮るる
               (二〇〇七・一二・一二)

《満月》
  暮れなづみ焚き火のけぶり野を這ひぬ
  空染めて冬の日山に隠れけり
  星数うほどにまばゆき冬の月

 蕪村に、菜の花や月は東に日は西に の句がある。春のうららかな夕刻がうたわれているのだった。が、昨日の日暮れの後、星を数えていると、冴え渡った空気に包まれて東の空を明らめて月が昇った。この十五夜の月は殊の外まばゆく美しかた。
             (二〇〇五・一二・一七)

《雲一つ》
  縁に寝て冬の陽射しを浴び居たり
  澄み渡る冬の空には雲一つ
朝の寒さを忘れてしまうほどの小春になった。風は強い。空は晴れ渡っている。
  日向ぼこ 松に手入るる 妻を見る
             (二〇〇五・一二・一八)

《冷え込み》
 今朝は湯沸かし器のお湯が出なかった。ガス屋さんに電話したところ凍結ではないかという。九時半になって出るようになった。手水鉢には氷がはっていた。
  空に消ゆ煙りの寂し落ち葉焚き
  梅が枝の小さき芽生え陽に孕む
             (二〇〇五・一二・一九)

《冬至》
  寒風の枝吹き抜けし冬至かな
  山颪(やまおろし)枝吹き鳴らす冬至かな
  山渡る風に聴き入る冬至かな
  一人居て日向ぼこする冬至かな
  一人雲の行方を追うている冬至かな
             (二〇〇五・一二・二二)

《絶好の小春日和》
 昨日宴会から帰って酔い覚ましに風呂にはいったら柚子が三つ浮かんでいた。そうか今日は冬至だったかと思ったことだった。
 冬至には、南瓜や冬至粥を食べるという風習があったりするが、小豆なしの南瓜は食べたかと思うが、宴の終わりに出たのはお粥ではなくお茶漬けだったなどと考えながら湯につかった。冬至粥というのは、小豆入りの粥で、小豆を入れるのは「冬至の日赤線をもって日の影を計る。共工の子、冬至に死に疫鬼となり、赤を恐る」(荊楚歳時記)から、その赤い色によって疫神を遠ざけるという意味という。それで句を作ろうとしたのだが、パソコンが開くのを待っている間に眠くなってしまった。
 今日は起きたら庭いじりに絶好の小春日和!。表側の竹垣を作った。杭打ちなどをしたせいか手が挙がらないほど痛い。余計なことを考えずに、汗を流しているのが一番。余計なことを考えずにいられる時間はありがたい。
  湯に浮かぶ柚子を掴みて年惜しむ
  懐かしき人を思へる柚子湯かな
              (二〇〇六・一二・二三)

《季語はみな秋?》
  庭隅に赤き実見つく万年青草(おもとぐさ)
  杉の実はたわわに揺れて青き空
  葉の陰万両の実のゆらゆらと
  椎の実を踏んで茶室に入りけり
             (二〇〇五・一二・二五)

《静かな年の暮れ》
  掃き残し露地のつもりや敷松葉
  冬ざれの畑に煙の漂ひぬ
 静かで穏やかな陽ざしのなかに今年も暮れていく。世の中は信じられないような事件や動きが次々に押し寄せているというのに、一日が何気なく何もなく平穏に過ぎていくことはきっと良いことに違いない。妻が仕事に出ている昼間、本を読みながら昼食を何にするか考え、結局手抜きのあり合わせですませ、本を読み続けた。これも至福の時の一つか。
 閑収乱帙思疑義 一穂青燈万古心  菅茶山
(散らかした書物を静かにかたづけ、読んだばかりの世界に思いやれば、揺れる火影に、昔の人の想いが、はっきりと浮かび上がって来る)
             (二〇〇五・一二・二七)

《半月》
 今日は、正月準備として玄関の掃除をした。二九日は九を「苦がつく」と避け、三一日は「一夜飾り」を嫌うというので、玄関前に正月飾りをかけた。内飾りは餅が三十日になるので、その時に飾ることになる。犬と散歩に出ると、中天に半月(七日の月)がくっきり浮かんでいた。餅屋(和菓子屋)の店先には大きなお供え餅が並んでいた。盆栽の梅はこのところの日差しで、蕾がずいぶん膨らんだ。この分だとうまくいけば元旦に咲きそうな気配。
  歳惜しみ見上ぐ半月さえざえし
  凩に震ふもみじや昼の月
  憂き事の空に吸われて年暮るる
  凩に負けざる梅の蕾かな
              (二〇〇六・一二・二八)

《再び穏やかな年の暮れ》
  日溜まりにうつらうつらの年の暮れ
  昼中の囀りたかし年の暮れ
  迎春の庭を造りて庵を閉づ
 杉篁庵は、今年は今日で閉じる。穏やかな一年が過ぎていった。このホームページを見てくださっている方には、よき年をお迎えになられますよう。
             (二〇〇五・一二・三〇)

《大つごもり》
 今年もいよいよ暮れる。日が落ちると風は冷たい。散歩に出るとあちこち年越しの用意ができていた。お宮の歳用意も終えてカウントダウンを待つばかりとなっている。徳願寺は「境内工事中につき除夜の鐘を中止」の看板が立っていた。妙応寺も以前は夜店が出ていたがこれもなくなり、この年越しは少しさびしくなるかもしれない。
 今日、敬意を持ってその生き方を見ていた方の訃報を伝え聞いたが、この暮れの中「生きる」意味に思いをいたした。
このブログは何とかまた新たな歳を迎えられそうだが、いつまで続けられるものやらという気分でもある。老いの繰言だけにならないよう書いていければと思う。お読みくださっている方々に感謝し、今年を締める。
  年越しの夜を向かへけり無為無念
              (二〇〇六・一二・三一)
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# by teinen-t | 2009-11-28 21:58 | 俳句 十二月

  珊瑚婚式(コラム)


 昨日で結婚三五年目を迎えた。
 結婚記念日で三五年は珊瑚婚式と言うとか。翡翠婚式とも言うらしい。珊瑚は語呂あわせでか、永い年月を経て成長する珊瑚に例えてのものか。三月の誕生石としてのの宝石言葉は「聡明・幸福・長寿・厄除」。翡翠も古くは玉(ぎょく)と呼ばれ古くから人気が高い宝石で、不老不死および生命の再生をもたらす力を持つと信じられていたようである。この宝石言葉は「長寿・健康・徳」とか。
 さて、この珊瑚、「近年、沖縄県八重山諸島近海や世界遺産として知られるサンゴ礁グレートバリアリーフでは海水温の上昇が原因とみられるサンゴの白化現象が発生し、大きな問題となっている。サンゴは海水温が三〇度を越すと、サンゴと共生する褐虫藻が減少し、白化現象が発生する。サンゴは、この褐虫藻の光合成に頼ってエネルギーを補給しているが、これが失われるとサンゴは白化し、長期間続くとサンゴは死滅する。この被害が顕著であった一九九八年と二〇〇七年はマスコミからも大きく取り上げられ、サンゴの危機が全国に報じられた。この海水温上昇の原因は地球温暖化が関係しているとされているが、一九九八年と二〇〇七年は東南アジアからフィリピンの東沖の海水温が上昇するラニーニャ現象が発生しており、八重山諸島近海の海水温も平年より高い状態であり、三〇度を越す海域も例年以上に広かったことも原因として挙げられている。」とWikipediaに記されている。
 米軍普天間飛行場の移設予定地海域では巨大なアオサンゴの群落見つかった。アオサンゴは国際自然保護連合(IUCN)の二〇〇八年版絶滅危惧種リスト(レッドリスト)に初掲載され、国の天然記念物のジュゴンとともにその希少性は世界的にも認識されている。県や国はその価値を過小評価したまま飛行場の移設計画を進めている。ボンベのバルブを閉められて殺されそうになったりしながらも辺野古での海上座り込みを続けてる反対運動の報道は全くない。また、国が市民を排除するため海上自衛隊の掃海母艦「ぶんご」投入されたりしている状況を知らせる報道もない。
 アオサンゴやジュゴンの運命は日本の運命と重なって見えてしょうがない。荒らされる海に死滅する人魚! アメリカの言うがままになって命と平和を失う日本!
               (二〇〇八・一一・二四)
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# by teinen-t | 2009-11-28 18:44 | コラム

十一月の句


《句会で》
  澄む空に浅間は白し冬の朝
  忍冬忌青一色に空澄めり    二〇〇六年
  赤き葉の落ちて赤き実初時雨  二〇〇七年


《懐かしき人々》
 上総亀山に向かう。セイタカアワダチソウは随分と影を潜め、薄が復活している。
  夕陽浴び薄の原を走り抜く
  陽傾き尾花は白し風強し
  山稜に細く光りて月掛かる
  若き日の顔集ひたる秋深し
  和みたる宴に添ふる寒桜
  無花果の甘きを喰らふ宴かな
  記念なる茶のマフラーの色清か
               (二〇〇八・一一・一)

《冬めく》
 久方振りの勝浦になる。こちらは薄が繁り、桜の葉が落ちて、秋の気配の深まりを感じさせる景色なのだが、寒い。これは「秋深し」や「冬近し」より「冬めく」の気分である。「冬めく」は冬の季語だが、立冬前ではあるが、今日はまさにそれが相応しい曇天である。
  曇天に列車の音も冬めきて
  林道の途切れるあたりあけびもぐ
               (二〇〇九・一一・二)


《暮の秋》
 北軽はもう秋の終焉をむかえている。家の周りの唐松は黄色から茶色に染まり葉を落とし続けて、辺り一面に散り敷いている。連休前の静まり返るった林を歩くと小鳥の鳴き声と啄木鳥の打つ音、それと落ち葉を踏む音だけが響く。
 今日は曇り空で、時折小雨というほどでもない雨が落ちて落ち葉をしっとり濡らしている
が、見上げると青い空が見えたりもする。気温は十度程。
  行く秋や落ち葉踏みつつ眺めつつ
  秋深し行く人もなき里外れ
  秋寂ぶと降りつぐ落ち葉手に受けし
               (二〇〇六・一一・二)

《木枯し》
 木枯しや雪の便りが続く。勝浦の空も澄みきってまさに冬の空。縁側の日向に出ての読書が気持ちよい。立冬前だが、小春日和とか、小春空、冬日和、冬うららといった冬の季語が相応しいような気候である。
 芥川龍之介に、
  木枯しや東京の日のありどころ
という句がある。
  木枯しや睡ることなく一人聴く
  見渡せる田に人も無く冬日和
               (二〇〇九・一一・三)

《秋三昧》
 秋の終焉をむかえてはいるが、今日は早朝昼午後と三回散歩に出た。黄色というか茶色と言ったほうがいいだろうか木々は最後の葉を色付かせ落ちるばかりである。天気予報で雷雨があるかもしれないというので遠出はしなかった。連休の中日だからか別荘の周りに車は多い。夜、月は昨日の十三夜も今日も薄い雲を通して眺める感じである。
  冬近き梢の上の煙濃し
  薄き陽は浅間に入りしそぞろ寒
               (二〇〇六・一一・四)

《秋の終わり!》
 秋晴れも今日までか。
  赤き実を啄む鳥に秋陽射す
北軽井沢山荘周辺を歩く。新しく建つ別荘があちこちに見られる。というのに北軽井沢の本屋は先月末で閉店していた。薬屋も閉店の話しがあり、スーパーはこの11日で冬季休業に入るという。再開がはっきりしない。定住者が少ないので消費人口の変動が大きく商売は難しいのだろう。春になってスーパーが再開されなかったら、これは大いに困り切る。コンビニで日常が賄えるだろうか?
               (二〇〇七・一一・五)

《信濃追分》
 北軽井沢は秋の終焉をむかえていたが、軽井沢まで降りて来ると紅葉はまだ盛りであった。それではと、信濃追分を歩きたくなって、出てみたら、曇り空ではあったが、浅間も見え、随分と久しぶりの紅葉真っ只中の追分ではあった。立原を偲びながらの紅葉の散る林の散
策がを楽しめた。一時半をまわると雲が濃くなり小雨が落ちるかと思われ、途中ではあったが帰途につく。横川に下る途中見える山一面が色付いていた。
  ゆうすげの人を偲びし秋の原
  追分や見る人もなく紅葉散る
  もみじ葉や散らずば秋の去るまじを
               (二〇〇六・一一・六)

《秋日和》
 木枯しが吹き霜が降りたりした後、また秋が戻ってきた。田舎道をそぞろ歩けば暑いくらいで、まことにのどかな秋日和である。
 庭の草をとり木を刈り焚火で燃やすと、風もなく上る煙が秋空にたなびき消えて行く。庭石の周りの落葉を掃いていると落葉の下から眠りこけた蛙を引き出してしまった。池の端に置いてみるとかろうじてしがみついていたが、いつの間にかどこぞに隠れてしまった。
  野の草を摘みて何処まで秋日和
  色々の色に色付きカラス瓜
  眠りたる蛙の眼にも秋日和
  道無きも分け入ってみる薄の野
               (二〇〇九・一一・六)

《山茶始開》
 今日は、はや「立冬」(二十四節気の一つ 旧暦十月節気)。七十二候では「椿開き始む(山茶始開・つばきはじめてひらく)」。「山茶」は本来「椿(つばき)」の漢名だったようだが、サザンカを指すようになった。山茶花は寒椿に似ているが、散る時はらはらと花弁を一枚ずつ散らす。いよいよ冬である。
 一一月に入ってからは朝の気温がだいぶ下がって、北軽井沢では零下がつづくようになったという。「水抜きを早くして下さい」と管理会社のブログにある。来週半ばには行けるだろうかと気が急く。
  山茶花の咲き初む朝や空白し
  はや冬か急かるる庭の冬用意
  立冬を迎へ盆栽覆ひたり
  手休めに冬なればとて餅喰らふ
               (二〇〇八・一一・七)

《秋日和》
 ベランダに座って本を読んでいると暑いくらいの陽射しである。雲もなく晴れ渡っている。時に松葉が雪のように降る。鳥影が過ぎる。別荘地を歩くともう人はいず静まり返っている。冬仕度の業者の車しか見ない。
  鎮もれる浅間の裾野暮の秋
  松落葉舞ひ降り積みて雪のごと
               (二〇〇七・一一・七)

《霜柱》
 穏やかな立冬となった。あまりに良い陽射しなので朝食前に冬の朝を楽しもうと牧場を散歩した。浅間が雲のない冬空にゆったりと横たわり、山道には硬い霜柱が立っていた。やがて、店じまいした周りの土木工事が始まって朝の活動の音が響く。
  霜柱小石持ち上げ陽に光る
  浅間裾音無く降れる松落ち葉
               (二〇〇七・一一・八)

《バラ園》
 母の卒寿の祝いを兼ねて京成バラ園に家族で出掛けた。秋薔薇が見頃であった。思いの外、平日の割に人出がある。昼を園の前の「かに料理・甲羅」で摂った。面白がってみんなで違うメニューを頼んだら、誰が何を食べているのか訳が分からなくなった。
  陽を浴びて卒寿祝へり冬薔薇
  螳螂の冬の陽浴びて歩み居り
  散り敷ける薔薇の花弁(はらびら) 冬ぬくし
  しゃぶしゃぶのずわい蟹吸う祝い膳
               (二〇〇六・一一・一〇)


《木枯らし一号》
 気象庁が、十二日、昨年と同じ日、東京地方に、冬の訪れを知らせる「木枯らし一号」が吹いたと発表した。また、札幌で平年より16日遅く、昨年より3日遅い初雪を観測したと発表。空を眺め、風の音を聞いているといかにも冬が来たと感じる。何だか寒い気がして炬燵を出した。犬も日向が恋しいらしく、庭の隅の日の当たるところで寝ていた。
  木枯や電柱のビラはためけり
  花植えて犬と並びて日向ぼこ
               (二〇〇六・一一・一二)

《冬木立》
 久方振りの好天。日差しが痛いほど。いつものことではあるが、半ば葉を落とした落葉松の黄葉と煙吐く浅間は本当によく似合う。軽井沢にはまだ紅葉が残るが北軽井沢の木々はすっかり葉を落としてしまった。穏やかな冬の感じである。葉を落とした木々の間から浅間がよく見える。
  青空も浅間も見ゆる冬木立
               (二〇〇八・一一・一三)

《初冬の浅間》
  山越しに雪を纏へる浅間見ゆ
 北軽井沢の家が水抜きをしてなかったのでこの冷込みに凍結してはいないかと心配しなががら来た。前日はマイナス四度になっとかで最初は水の出が悪かった。しかし、かろうじて破裂は免れたというところらしい。やれやれと一安心したが、家の前には雪が消え残っている。夜は寒かった。今日は天気予報では曇で一日中寒いと報じられていたが、思いのほかの快晴で暖かい。それで三時近くまで外で過ごした。
  日溜や珈琲香り友二人
               (二〇〇九・一一・二〇)

《冬仕度》
 庵の紅葉がこのところ日毎に色を増して、火燵に綿入れを羽織る季節になった。一昨年の紅葉は紅が艶やかで美しかったが、今年は色付きも遅く、色も悪いよう。昨日は妻が一日松の手入れをして帰って行った。剪定で出た木や葉の山を燃やしているとやはり部落のあちこちに煙があがっている。秋が深まり雑木の山は様々な色に染まる中で、国の行方を嘆きながら、秋の静けさの中に佇むばかり。
  麗しき国かがよへり落ち葉踏む
  落葉焚く煙幾すじ山のあひ
  さっぱりと木の剪られけり冬仕度
               (二〇〇六・一一・二六)

《北風木の葉を払う》
 今日は、五十九候「朔風払葉=北風木の葉を払う」である。お宮の銀杏、庭の紅葉も急に色づいた。桜はほぼ散り落ちた。いよいよ年の暮れに向かっている感じがする。
  日溜りに眠れる犬や銀杏散る
  おはようは曇天の下落ち葉掃く
  積もる葉に墓暖かき親鸞忌
               (二〇〇七・一一・二八)

《時雨後》
 北軽井沢でこの時期15㎝も積もるのは珍しいことというが、行徳も時雨れて寒い。午後になって日が射してきた。家の周りの散歩しかできない。
  初時雨煙りて遠き蜆舟
  雨止むや光り宿せり花八つ手
  一面に銀杏散り敷き雨あがる
  葉も空も洗はれてをり時雨後
  一角は雨に濡れたる柿落葉
               (二〇〇八・一一・二八)
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# by teinen-t | 2009-11-28 18:42 | 俳句 十一月