人気ブログランキング | 話題のタグを見る


  石蕗(つわ)の花 (コラム)


  揺るるなく木漏れ日浴びて石蕗の花
 庭にツワブキやサザンカが咲き始めた。ツワブキはもう咲ききっていたりする。例年より早いか。
 このツワブキは、俳句では初冬の季語。今読むにはちと早いかは思うが、空を見ると秋から冬へ移ろう気配があったりする。
 石蕗は大辞泉では、款冬(かんとう)、いしぶき、つわ、とも言うとある。
この款冬とは冬をもてなすという意味なのだろう。しかしこの語は、款凍・款東ともしるし、これは凍・東を叩くの意で、厳寒氷雪を凌いで生ずる意から転じて蕗の薹(とう)のことを指していて、款冬花という表現もある。また、「和漢朗詠集」春の部に、「山吹」の歌二首とともに、款冬の歌が入り、款冬が「山吹」を指すようにもなっている。
 ちなみに蕗は、蕗の薹・蕗の芽・蕗の花は春、旬の蕗・蕗の葉・伽羅蕗・秋田蕗は夏の季語となるが、それだけ蕗は身近なのだろう。
  静かなる月日の庭や石蕗の花 高浜虚子
                 (二〇〇八・一〇・二八)
# by teinen-t | 2009-11-28 17:22 | コラム

  オリオン座流星群(コラム)


 オリオン座流星群の活動が活発になると予想されるのは一〇月一九日の夜から二三日。その真夜中から明け方が観察に適している。ピークは二一日、月明かりの影響がまったくない最高の条件で観測できる、と報じられていた。
 天気予報も晴れということで北軽井沢に出た。軽井沢から白糸滝への道は紅葉の直中を走る。林を歩いて、木立ちを渡る風の音―ザクザクと落ち葉踏む音を聞きながら紅葉する樹々を眺めていた。空を眺め、星を追おうと夜中に広い空の見える処まで出てみたが薄い雲がかかっていた。数分で小さな短い流れ星が幾つか見られた。
  大空の青艶にして流れ星 高浜虚子
  流星やいのちはいのち生みつづけ 矢島渚男
  流星の使ひきれざる空の丈 鷹羽狩行
  流星や火の山裾に灯の撒かれ 渡邊千枝子
  高原の流星しきりなる夜かな 星野立子
 季語としては「流れ星・流星・夜這星・星流る・星飛ぶ」で秋。
                 (二〇〇九・一〇・二一)
# by teinen-t | 2009-11-28 17:21 | コラム

  定年後の生活(コラム)


 定年後の人の集まる機会があった。と言うより私の最初の職場の先輩達、八十六歳を筆頭に六十を超えた人の集まりで、その人達から定年後の生活を聞いた。
 やはり自分の世界を持つこと、これが先ず第一であった。それがあれば、形態はどうであれ、生き生きしているように見受けられた。また、その世界の多くは社会とのつながりの中に見出されていた。欠席している人の事情を聞くと、七十を過ぎていてもまだ働いていて仕事が詰まっている人と、身体が動かない人に分かれた。とすると、健康が第一か。健康で身体が動いて、いや、身体が動かなくなったとしても、やはり自分の世界を持つことが、自分を生かすことのように思う。
 今月の「文藝春秋」にも堺屋太一が「団塊の世代・幸福への一千日計画」を書いているが、現在、団塊の世代の人の関心事ではあろう。
 先日、ある新聞から、「五〇代半ばの、定年退職後のライフプランが気になる世代に向けて、定年退職後、あるいは早期退職後に新しい「コト」を始めた人のプロセスやいきいきとしたセカンドライフを過ごすためのアドバイスを聞く」と言う企画の取材依頼があった。それほどの実績がある訳でもなく、実名写真入りと言うことだったのでお断りしたが、その視点で自分を振り返ってみた。以下そのメモしたものを載せる。 
  「人生二毛作時代、
     定年後の生活をどう準備するか」
 「二毛作」と新たに別のことを始めるも良し、「二期作」と今までのキャリアを生かした仕事を続けるにせよ、定年と言う一区切りを迎えた後の生き方をどうするかは、青春期どう生きるかと悩んだ時のように、悩ましいものです。
 定年後の生活がパチンコ通いだけにならないために、最近の休日をどう過ごしているでしょうか。「パチンコ通い」で小遣い稼ぎもできるという人もいますが、それだけで定年後を過ごすのはなかなかに難しく、世の中はそんなに甘くないようです。
 脅しではなく毎日が休日になるということは結構しんどいことです。定年前からの定年後を目指した「自分作り」が、よりよきその後の生活を実現するのだと思います。
 私はまだ第二の人生のテーマを模索中の身ですが、その状況からの報告です。
私は、定年後は今までの仕事から離れて生きたいと、定年後の五年は自分探しの時間にしようと思っていました。内二年は請われたりしてそれまでと同様の勤めに出ました。その後、無職の生活が一年半経過したところです。

仕事。
仕事一辺倒でなく生活を楽しむことを考えました。
 週に二日三日の仕事を探しましたがこれはなかなかありませんでした。これからはそうした需要は増加するはずで、団塊の世代が暇になるこれからはそうした仕事形態も創出されるのではないかと期待しています。無ければ創ればいいとも思いますが、どうも自分で始めるだけの力はないと感じています。
定年後十年乃至十五年は働ける体力のある人は多いと思います。それを生かさない社会は未整備だといっていいでしょう。
現在、これについては模索する動きも徐々に生まれています。

趣味を持つ。
①登山。
 定年後の山登りを志し、五十代半ば前から土日に一泊あるいは日帰りの山歩きを始めました。近郊の山、八ヶ岳、北アルプス、南アルプス、あるいは両夜行で八甲田山に行ってくるというような登山でしたが、定年になる直前、一泊の北岳の下りをいっきに走り降りた際膝を壊してしまい、膝が下りに耐えられなくなりました。その後は、登山と言ったものでなく、山の散歩といったハイキングにもならないような山歩きになってしまいました。
体力のいるものは日ごろの基礎訓練をしておかないと「夢」の実現も難しくなるという教訓です。金銭的準備もさることながら、体力の準備については、定年後に出来ることと出来ないことがあるようです。
②読書。
 暇になった半年間は、実によく読めました。その一時期を過ぎた後、テーマなしの読書は一冊がなかなか読み終わらない状態なりました。それまで気がつきませんでしたが読むという行為もずいぶんと積極的行為らしく、関心事を作らないとやはり読むということが持続しなくなります。
これも、テーマ設定が出来るか(関心事を持てるか)どうかのように思います。
③絵と俳句や短歌。
 金がかからず、時間も自由になることではそれぞれ手軽な趣味です。
 油絵は、定年前から夏休みに一枚描く程度にやっていましたが、暇な時間を好きな時に少しずつ使って仕上げていくことが出来るので、描きかけたままカンバスをセットしておける空間があれば、気楽な趣味だと思います。
 俳句は、ブログを書き始めて、その記事になるかと手遊びに始めてみました。新しい詩を創出するなどと言う高い志ではありません。駄句月並みと言われるものでも何とか形になればと続けています。作り始めて俳句をやっている人の多いのに驚きました。学ぶことも多いようで形になるまで数年かかると言われましたから、しばらくは楽しめるものと思います。
④ホームページ作り。ブログ書き。
 定年を機会にHPを創り始めましたが、生活にリズム(メリハリ)が生まれます。
これ迄の仕事の成果を纏めたり、始めた趣味の発表の場にしたりと、作るとやりがいも生まれます。安上がりな上、予想外に際限ない面白さが味わえる玩具でした。
⑤散歩・デジカメ。
 一万歩とか地域の何かを見て回るとかテーマがあれば励みになります。カメラを持って歩いている人にも多く出会います。
定年を記念してデジカメを買いました。フィルムカメラと比べると手軽でいろいろ使い道が楽しめ。写真があるとHPへの発表も様々に工夫でき面白さが増しました。
⑥囲碁
 囲碁も趣味の一つでしたが、「へぼ」で、現在は遠のいています。
アマの段位を持っているか取る意気込みがないと、碁会所ではなかなか楽しめません。近くの碁会所には級の人がいず、対等に打てる相手もいず、足が遠のきました。アマ四段位が面白いところのようです。

生活パターンを作る。
 寝る時間が一定しないかと思っていましたが、意外とこれは意識することなく、生理的に夜一時までは起きていられなくなったので起床時間はほぼ決まってきました。
友人ⅰの場合。午前中は畑仕事、週に二三日碁会所に通う。
友人ⅱの場合。図書館と病院通いと旅行で生活が廻っている。
友人ⅲの場合。奥さんをなくした後、以前より忙しく仕事をするようになる。
友人ⅳの場合。絵画教室の主催と碁会所通い。
と、それなりのパターンができるようです。
 私の場合、三箇所の家(自宅・茶室杉篁庵・北軽井沢の山荘)を行ったり来たりで、それぞれの場で違いますが、この一二年でそれなりに生活パターンが出来つつあるといったところです。

夫婦関係。
 私の場合、妻はまだ勤め(パート)に出ていて、二人定年になった時は亦違ったものになるかと思いますが、今は一人自由に過ごさせてもらっています。
 二人だけの生活になれば、同一趣味・行動か、勝手に互いの生活を尊重して立ち入らないか、とにかくそれぞれに自分の世界を持っていないと、四六時中顔をあわせているのですから互いに辛くなると思います。
 仕事の分担をしていないと「邪魔」な存在(濡れ落ち葉)に感じられたりします。例えば掃除のとき「邪魔」といわれます、その時掃除を自分でやれば邪魔にはなりませんでしょう。逃げてパチンコ屋に行くのはあまりよい解決方法ではないように思います。

田舎暮らし。
 どこに住むかの選定。
 さまざまな条件を想定し、数年かけて選ぶくらいに思って歩き回ることが第一歩です。一二年試しに住んでみるといった方法もあるように思います。
 私の場合、憧れる所は実生活上は住み難い場所ばかりでした。冬の厳しさ、日常の買い物の不便さ、交通の便の悪さ、あるいは水の不味さ等。その時家族の形態(誰とどう住むか)がどうなるか、そのあたりが楽しめるかを見極めないと中途半端になります。
「中途半端」が、実は私の今の状態です。何処にどう拠点を置くか、悩んでいる最中です。

まとめ・楽しく自分を生かす「仕事・社会的活動」へむけて
 「いったい自分はなんだったのか」が問われるのが定年後です。これは、なかなか難しい問いですが、それを実生活で答えることになります。
 これに自分自身が満足いくように応えるためには定年になってからでは遅いかもしれません。成り行き任せで悪いことはないのですが、この先何年生きるか分かりませんが、平均余命としては二十余年、その時間を充実させることは難しく、しかしその時間を、無為に過ごすというのもなかなかにしんどいことです。ですから楽しくなければ、やってられないと覚悟するしかありません。
 そこで、定年後、自分を生かす活動の場を作る運動が盛んになってきています。
現在、新たな会社(福祉関係等)の設立やNPOの創設、それらへの参加が話題になっています。趣味にとどまらない社会参加の形態が次々に作られようとしています。
 本来、定年後を考えるならば、その準備とは、そうした新たな活動場所を作ったり参加するために、自分の出来ることを「力」として蓄えおくことだろうと思います。

 偉そうに言っても、それが自分では見つからない状態ですが、勤勉な日本人はきっとそうした新たな「場」を創出するに違いありません。それが、「人生二毛作時代」の意味だと思います。
 徹子の部屋を見ていたら、一日三時間練習するという九十一歳現役チェロ奏者青木十良が出ていました。北軽井沢にも八十を過ぎて彫像をやっている人、また先輩にも海外で活動したり地域活動やグループ活動を主催している人がいますが、そういう人たちを見ていると自分の世界を持つことの意味を考えさせられます。 
             (二〇〇六・一〇・二一)
# by teinen-t | 2009-11-28 17:20 | コラム

  金木犀(コラム)


 中秋を過ぎて庭に金木犀の香が漂う。見上げればこぼれんばかりに咲き誇る。この木犀は中国では「桂花」とされます。李清照の詞に「桂花」があります。
  「桂花」
  暗淡輕黄體性柔    
  情疏跡遠只香留
暗(ひそやか)に淡(あわ)く 軽(かろ)き黄(きのいろ)にして 体性(すがた)の 柔(しなや)かなり
情の疎(そ)にして跡遠かれど 只だ香の留まれり
「ぼうっと翳むように淡くうっすらとした黄色い花をつけ、その姿がしなやかな木犀(モクセイ)。
 その花の形が美しいわけでもなく、花の色も淡く人を誘うものでもありません。しかし、その香りは濃く、辺りに留まります。」

 また、朱淑眞は「木犀 」で
  也無梅柳新標格、也無桃李妖娆色。
  一味惱人香、群花爭敢當。
梅柳の新しき標格も無く、桃李の妖娆の色も無し。
一味(ひたすら)人を悩まして香り、群れし花は争ひて敢へて当たれり。
「モクセイは梅や柳に比べますとみずみずしい気品も無く、桃や李のあでやかな色もありません。ただただ人を悩ますほどに香り強く、群れ咲く花は争うように咲き満ちています。」
と詠っています。ことに夜の庭はこの香りに包まれます。

  「題桂花美人」高啓
 桂花庭院月紛紛,
 按罷霓裳酒半醺。
 折得一枝攜滿袖,
 羅衣今夜不須熏。
  「桂花美人に 題す」
桂花の庭院 月に紛紛たり、
霓裳(げいしゃう)を按罷(かなでお)へ 酒半ば醺(くん)ず。
一枝を折り得て携(たづさ)へれば袖に満ちて、
羅衣(らい)今夜熏(くん)ずるを 須(ま)たず。
「金木犀の花が香り咲く庭には月の光にあふれかえり
羽衣の曲を演じ終えれば酒にも快く酔った
一枝を折って袖に入れれば
今夜は薄衣に香を焚くまでもない」
・霓裳=「霓裳羽衣曲」
・按=演奏する。・罷=やめる。
・須=待つ。
 今朝の二十三夜月(下弦の月)は秋の晴れ渡った空にくっきりと美しく見える。木犀の花は、小さく愛らしく花が密集して咲き、オレンジ色と白があり、オレンジ色は金木犀、白色は銀木犀といい、香りが漂っていて木犀が咲いていることに気が付いたりするほどに強い香りを放ちます。ブランデーに入れ香りを楽しんだり、白ワインに漬けたり(桂花陳酒)、茶に混ぜて桂花茶と呼ばれる花茶にしたり、蜜煮にして桂花醤と呼ばれる香味料に仕立てたりします。昔、中国では、木犀入りの酒を口に含ませて吐く息を花の香りにしたといいます。「桂林」という地名は、木犀の木がたくさんあることに由来するといいます。

 この花を詠んだ李清照の詞「攤破浣溪沙」の後半。
  枕上詩書閑處好
  門前風景雨來佳
  終日向人多酝藉
  木犀花。
枕上(まくらべ)の詩書閑に處(あり)て好く 門前の風景雨の来りて佳し。
終日(ひねもす)人に向かひて酝藉の多きは
木犀の花。
「枕元に詩の本をおいて、静かに過ごす時間はなんと心地よいことでしょう。
門前の風景を眺めても、雨が降って、一層味わいが出てきました。
木犀の花が芳香を放ちおだやかに私と向かい合っています。」
こうしてみると木犀は清照の心引かれる花であったようです。

  木犀や人は寐ねたる庭の月 正岡子規
  木犀の香にあけたての障子かな 高浜虚子
  ほつほつと木犀の香に降つて来し 中村汀女
  浴後また木犀の香を浴びにけり 相生垣瓜人
  木犀や同窓会に出向く道 高澤良一
                (二〇〇九・一〇・一〇‥一一)
# by teinen-t | 2009-11-28 17:19 | コラム

十月の句


《句会で》
  錦繍の山にもみぢぬ葉のありて
  揺れている水引の花父忌日    二〇〇六年
  弦月の雲間に淡く梧桐落つ    二〇〇七年


《高原の花》
 越後湯沢のアルブの里に寄る。曇り空にたまに日がさす天候。イワインチン、スビードリオン、ウメバチソウとか名をメモしているうちにだんだんどれがどれだかが判らなくなる。ロープウェイも団体が乗らなければガラガラ、高原も街も静かな休日であった。骨董屋でお客さんの言い値でいいよと言うので一点戴いた。
  花の名を数へて巡る山の秋
  湯の街のさびしき昼や秋澄みぬ
  湯巡りの足湯につどふ風さやか
               (二〇〇六・一〇・一)

《秋の石楠花》
 秋の花が咲いている中で、シャクナゲが蕾を持ち始めたと見ていたら、一昨日から開きはじめた。今年も普通にちゃんと五月初めには咲いていた。春の「花のアルバム・花おりおり」には萎れたのしか撮れなかったのでアップしていないので、今頃咲いてくれたのだろうか。やはり、一度涼しくなった後のこのところの暖かさで開花してしまったのだろうか。今年はなんだか夏から秋に咲く花の数が多いように思う。また花の咲いている時期も例年より長い気がする。
  秋の日に石楠花咲きて人待てり
  夕月の暮るる空色父忌日
               (二〇〇六・一〇・三)

《金木犀》
 このブログを始めて満十ヶ月になろうとしている。と言うことは、俳句を始めて十ヶ月と言うことでもある。その俳句、はじめた頃に比べると視点がどんどん凡庸になっていく感じがする。句会の成績も悪くなる一方。毒にも薬にもならないという言葉があるが、それでも何か新鮮な「気付き、発見、感性」が見え無ければつくる意味もないような気にもなる。十年一日の凡庸な生活になったのだから仕方ないかとも思うが、また、俳句の視点でのささやかな発見ぐらいは日々ありそうにも思う。まだ諦めるにはちと早いだろうか。
  黄に光る木犀見上ぐ朝の庭
  木犀の散り敷く庭に光漏る
  金木犀こぼるる庭に立ちつくす
  夜の庭木犀の香に包まるる
               (二〇〇六・一〇・四)

《九十九里》
 何々さんを囲む会というものがよくある。昨日の会もその一つだったが、当の主人公はいない。三十数年前に出会った人達の集まりなのだが、以前の思い出話と病気の話が行き来するなか、定年退職者とこれからそれを向かえる人達の集まりだったから、これからどうするかの話がなかなかに面白かった。思い出話では同じ出来事に関して人それぞれの捉え方がありその印象の違いに興味深いものがあった。認識と表現にまさに人生がある。
 九十九里に集まったのだったが月も朝日も雲が多く少々残念であった。
  名月は雲間に隠る九十九里
  明けの空九十九里浜雲垂れて
               (二〇〇九・一〇・四)

《秋の空》
 やっと秋らしい気配の感じられる天気になった。雲のかかっていない浅間山が今回初めて見られ、陽射しも木立を渡る風の音も心地良い。紅葉は始まったばかりだが、風に舞う木の葉や落ちている栗に秋が感じられる。茸は例年より遅いらしいが、林の中を歩けばきのこ狩りの人達にも出会う。一人こもりきりの数日だったから人の声が恋しくて常住している人達を訪ね歩く。
  秋麗ら剥き痕のいが蹴飛ばして
  落栗につられ見上ぐる空の青
  夕日射す木立の陰の薄紅葉
               (二〇〇七・一〇・五)

《大雨強風の中秋の名月》
 大雨強風の雨月となった。季語の「雨月」(うげつ) は雨のため名月が見えないこと。雨名月、雨夜の月、雨の月、月の雨と詠んだりするらしい。しかし、「雨月」という語の雨は、しとしと降る秋雨で、こんな強い雨はイメージしていないに違いない。曇って名月が出ないのは「無月(むげつ)」、「良夜(りょうや)」は月の明るい夜、特に十五夜をいうのだそうです。俳句をやらなければ知り得ない言葉でした。名月は今日でしたが、天文学的満月は明日です。
  里芋で一人酒酌む雨の月
  忘られて雨に打たるるあかまんま
  お供への薄に添へて赤のまゝ
               (二〇〇六・一〇・六)

《星空》
 今夜も星が美しいが、昨夜は久しぶりに見たためだったか星が驚くほど近くに見えた。そのためか冷え込むようで紅葉が一段と進んだようだ。あまりの陽射しの心地良さに牧場周辺を歩くと行楽客も多い。初秋の高原を楽しむにはいい天気になった。
  浅間背に牛の長閑し秋気澄む
  若き声尾花が原を行き交える
               (二〇〇七・一〇・六)

《山茶花》
 雨が上がって庭に出てみると、早くも山茶花が咲き始めていた。但し、山茶花は冬の季語、まだ秋半ばなのでこれを句にするのはなかなか難しい。好天だったので夾竹桃をばっさり切った。秋の陽射しが痛い位に強い。今日は昨日とはうってかわった青空、満月もしっかり見える。
  犬連れて幾度の散歩月満てり
  望月の重たきほどの近さかな
  カメラには確と写らぬ月の景
  寺屋根の低きにありし望の月
               (二〇〇六・一〇・七)

《天が紅》
  風鐸の鳴りて流るる天が紅(あまがべに) 
  風鐸の鳴りて夕日の沈みけり
  風鐸の声に聞き入る秋没日(あきいりひ)
 天が紅(あまがべに)とは、夕焼け雲のこと。訛って「おまんが紅」とも。音の類似から「尼が紅」とも書きます。
 ところで、一番鶏は、東の天が紅になるといって「東天紅・トォ~テンコォ~=コケコッコ~」と鳴くといいます。しゃれた鳴き声です。私たちが「コケコッコ~」と聞くようになったのは明治時代からといいます。江戸時代では、鶏の声を「トォ~テンコォ~」と聞いていたのです。東天紅はレストランや麻雀から生まれた言葉ではありません。
 「夕焼け」は「夕紅(ゆうくれない)」と言う呼称がありますが、これは季語としては夏。「夕焼け雲」は秋の季語といいます。
 今日は風強く風鐸が鳴っているなか、どちらかというと「秋の夕焼け」という感じでした。
夕空が赤く染まっていく様子は「空火照り(そらほでり)」、その空の色を「夕色(ゆういろ)」と言うようですが、これは季語ではないのでしょう。歳時記にみあたりません。
               (二〇〇六・一〇・八)

《寒露》
 寒露(かんろ)は、二十四節気の一つ。七十二候の49候は鴻雁来(こうがん きたる)。
 今朝のNHK「生活ほっとモーニング」は「大人気!フォト五七五」というもの。写真と俳句を一つにしその共鳴を楽しむことが流行っているという。大高翔が出ていたので見ていたか、新しい楽しみ方を見つけてほしいといっていた。一つ作ってみた。
  雨上がり雁来たる日の露弾く
  行く人を見送る朝や露葎(むぐら)
  色変えし庭に光れる寒露かな
 古歌には次のようなものがある。
  秋萩の咲き散る野辺の夕露に
    ぬれつつ来ませ夜は更けぬとも 人麿
  秋の夜の露をば露と置きながら
    雁の涙や野辺を染むらむ 壬生忠岑
               (二〇〇八・一〇・八)

《林道を歩く》
  核論ず闇の深さや螻蛄鳴く
  薄原分け越え行きてあけびもぎ
  林道に落ちし紅葉や空仰ぐ
昨日から杉戸に来ている。庵から10分程の杉戸の貯水池は一昨年崩れた崖がしっかり整備されバス釣りのボートが浮かんでいた。そこから林道を行くと紅葉がいくらか見られた。あけびの実も赤らんでいた。風の音と鳥の声ばかり。ぬかるみには猪と鹿の足跡が新しい!
               (二〇〇六・一〇・一四)


《カラスウリ》
  葉の朽ちてつるばかりなる烏瓜
  ゆったりと風に揺られて烏瓜
  集むれば色さまざまに烏瓜
  薄原分け入りもぎぬ烏瓜
               (二〇〇六・一〇・一五)

《秋陰祭り》
 三年に一度の本祭りに対して、神輿の出ない今年は簡単なお祭りの陰祭り。小学校の子供たちが写生に来ている。その声でお参りに出る。秋の日差しが強いが気持ちよく晴れている。役員の方たちがつめていて陰祭りといえ大変である。
「陰祭」は季語としては夏祭りと一緒で夏になるのであろうが、祭りは春にも秋にもある。頭に春や秋をつけるしかないのだろうか。
  銀杏散る野外教室陰祭り
  スケッチに秋の陽強し陰祭り
  箒目を半被の描く秋陰祭り
 北京から帰ってきたら金木犀の木の下はオレンジ色に敷き詰められている。その横の新しくした我が家の稲荷もそれなりに飾る。
               (二〇〇九・一〇・一五)

《秋晴れ》
 今日は一日穏やかな秋晴れになった。柘植を剪定し竹を伐り庭の手入れをした草木
を焼いた。静かにのぼる煙りと火を見ながら涼やかな風が気持ちよく秋の気候が愉しめた。少々疲れた!
  駄句駄句と汗滴らせ竹を伐る
  秋の野の空を見上ぐる昼休み
  山茶花の早くも咲きて秋暮るる
               (二〇〇六・一〇・一六)

《秋の景色》
 今日は俳句のみ。
  辿り行く谷川に沿ひ薄紅葉
  猪(しし)の跡辿りて谷の清水かな
  穴まどひ畑より薮におもむろに
  西日射す薄の原のそよと揺る
  夕暮れて柿の照葉の落ちにけり
  西日射す畑見下ろして百舌鳥鳴けり
  西山に日の入らんとす秋あはれ
  煙り立つ秋の野に日の沈みけり
  杜鵑草燐家へ伸びて揺れて居り
               (二〇〇六・一〇・一七)

《紅葉狩り》
 好天に誘われ、小瀬温泉まで歩く。紅く色付いたモミジはもう散っている。浅間牧場と白糸の滝には観光客が多いが、自然歩道を歩く人はいない。龍返しの滝に二人いただけだった。「秋」の森を独り占めしてゆったり歩いた。途中小熊か猪かそれ位のが逃げて行く姿を見た。
気持ちがのんびりしたせいか、はたまたボケたか、小瀬温泉の周りをぶらぶらしていたらバスを逃して一時間待つことになってしまった。同じ場所を通っても昨日とはまた色付きが違う。四時を過ぎると一気に寒くなるが、この冷込みが紅葉を促すのだろう。
  散りてなほ朱きモミジの鮮やかに
  山染むる黄葉の果て青き空
  陽を浴びて見る人もなく桔梗咲く
               (二〇〇八・一〇・一七)

《秋の空》
  刈り終えし田の白白と空高く
  おちこちに囀り秋の実を探る
 勝浦の家に来てみるとあちこち手をいれなければならない。まだ蔓草は伸びているからこれを刈り、塀の傾きをなんとかごまかし、竹垣に手を入れる。
               (二〇〇七・一〇・一九)

《枯れ葉散る音》
 落葉松が黄葉しその細かい葉が雨のように散り敷く林を彷徨う。雑木林では少しの風に枯れ葉が舞い続ける。この二日は色付く葉に誘われて、日がな歩いたが、村の何処を歩いても秋、秋、秋。飽きることがない。
  浅間裾深く木洩れる秋日差
  林深く枯れ葉舞ひ散る音ばかり
               (二〇〇八・一〇・二〇)

《錦秋》
 遅い朝の散歩に牧場を一回りした。半月が冴え渡る青空の中天に白い。白糸の滝まで行く老夫婦を途中まで案内した後、戻ると浅間の裾野一帯に広がる錦秋に歓声をあげる高校生に出会った。ベンチでしばらくおしゃべりしたが、高校生との会話は久方振りのこと。福岡の女子校の修学旅行の一グループであった。フィンランドからの留学生もいてなだらかな裾野の景が似た雰囲気と言う。この夏に来たというのに日本語が流暢なのに驚いた。北軽井沢の別荘地域は何処も紅葉真っ盛り、今が一番良い気候のようで、この数日はひたすら錦秋の中を彷徨っていた。牧場から白糸の滝を通って三笠に出る道は今が圧巻。車で通ってもひたすら錦秋の中にいることになる。浅間の煙が今日は多いようで太く高く立ち上ぼっている。
  紅葉照り原野に響く若き声
  照紅葉白き煙のゆるらかに
               (二〇〇八・一〇・二一)

《海を見に行く》
 昨日は付近の山里を歩いてみたが、栗や柿、すすき、セイタカアワダチソウ、コスモスが秋の風景を造っていた。桜がいくらか色づいているばかりで紅葉はまだまだ。海が見たくなって今日は勝浦にでてみたが、朝の涼しさに比べると汗ばむほどの暖かさになった。海は満ち潮で釣る人も泳ぐ(潜る)人も気持ちよさそう。波の音を聞きながら秋の空を眺めていた。
  潮騒に雲流れ行き秋高し
  海に立ち秋空見上ぐ人一人
  秋の潮渚に倒る釣りボート
               (二〇〇七・一〇・二二)

《秋の北軽井沢》
 このままだと十月は北軽に行かないままになると、天気も良さそうなので出た。池袋からの10時の高速バスは乗ってみたらなんと乗客は私一人だった。結局私一人だけを乗せて軽井沢まで走った。予約が全く無くとも、運転手は帰りの乗務で客がいてもいなくても走るという。松井田を過ぎ山に入ると紅葉が見られ、のぼるにつれ次第に色濃くなる。紅葉は軽井沢がピークで北軽井沢に向かう道はもう葉を落として秋の終わりの気配である。今年は赤くならず早く散っているようで、北軽は落ち葉の中で静まり返っていた。
  車窓より秋の移ろひ辿り行く
               (二〇〇六・一〇・三一)

《ハロウィン》
 今日は「万聖節」の前夜祭のハロウィンの日、眠くなるようなのどかな日。この夜は死者の霊が家族を訪ねてくるという、また、家族の墓地にお参りしそこで蝋燭をつけるという風習もあり、日本の仏教行事「盂蘭盆会」と似た日である。私がこの行事を知ってハロウィン・パーティーを体験した最初は30年ほど前だったが、このごろのように町に仮装行事が一般化してきたのはいつごろからだろう。そのうちただの馬鹿騒ぎにしてしまうのだろうか。ただの仮装の日になりつつあるが、もともとは子供のお菓子の日という感じがする。発祥は収穫祭の一つではなかろうか。南瓜のランプは自分で作るのが風習で、娘の行く陶芸教室では毎年再生粘土でのランプ制作の体験教室や販売会をやっていて、これが結構出るらしい。
  ハロウィンの蝋燭ゆらぎ人待てる
               (二〇〇七・一〇・三一)
# by teinen-t | 2009-11-28 17:17 | 俳句 十月




定年後の句作と駄文
by teinen-t
メモ帳
検索
タグ
その他のジャンル
最新の記事
  小至明旦一陽来復(コラム)
at 2009-11-28 22:05
  冬の風(随感)
at 2009-11-28 22:03
十二月の句
at 2009-11-28 21:58
  珊瑚婚式(コラム)
at 2009-11-28 18:44
十一月の句
at 2009-11-28 18:42
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧