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  彼岸の入り(コラム)


 萩が溢れるばかりに咲き、積もるほどに零れている。
 おはぎ(春は牡丹餅・ぼたもち)の時節、今日を含めた七日間が彼岸の期間となる。春分と秋分は、太陽が真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し、遙か西方の極楽浄土に思いをはせたのが彼岸の始まりという。日本では「彼岸会(ひがんえ)」といい、墓参法要をして先祖を祀る行事になっているが、もともとは極楽浄土を思い悟りを願う心をいうのだろう。「彼岸」は梵語の「波羅蜜多(パーラミター・はらみた=超える、渡る、の意味)」の漢訳「到彼岸」で、彼岸に到るという言葉であった。
 俳句の季語では「彼岸」は春、秋分前後は、「秋彼岸」、「後の彼岸」という。四季の中でも最も過ごしやすい時期といわれる。しかし、今朝は朝から日差し強く暑い。木陰に時折吹く風が秋の涼しさを感じさせる。お墓に行って草むしりした。
  草むしる額の汗や秋彼岸
  風立つや見送る人に萩零れ
               (二〇〇七・九・二〇)
# by teinen-t | 2009-11-28 15:31 | コラム

  顕信の句(コラム)


 チャンネルを回すと伊藤淳史の顔が見えたのでそのまま見ていた。「若さとはこんな淋しい春なのか〜住宅顕信のメッセージ」というものだった。顕信を演ずる淳史が大人びたいい顔になってきている。
 住宅顕信(すみたくけんしん)は 一九六一年(昭三六)岡山市に生れ、二二歳の夏、京都西本願寺で出家し僧侶になった。しかし結婚からわずか四ヶ月後の二三歳の二月に骨髄性白血病を発症、一九八七年(昭六二年)二月に二五歳で死去した。
 顕信の句は定型にとらわれない自由律俳句。その率直で力強い言葉が現代の若者にも広く受け入れられ、全国に根強いファンがいるという。顕信が句を詠んだのは、病床にあったわずか三年足らずの間で、妻と別れ、生まれたばかりの息子を病室で育てながら、とりつかれたように句作に没頭し、二八一の句を残したという。「咳をしても一人」の尾崎放哉に憧れその影響を受けた自由律俳句の一つの頂点にある。
 句集「未完成」の最後の句は、
  「夜が淋しくて誰かが笑いはじめた」

 顕信遺句抄の中から十句。
  どうにもならぬこと考え夜が深まる
  一人にひとつの窓をもち月のある淋しさ
  鬼とは私のことか豆がまかれる
  月明かり、青い咳する
  今日がはじまる検温器のふたとる
  捨てられた人形が見せたからくり
  若さとはこんな淋しい春なのか
  消灯の放送に追い立てられた幼い手をふる
  人焼く煙突が見えて冬山
  淋しい犬の犬らしく尾をふる
               (二〇〇八・九・一七)
# by teinen-t | 2009-11-28 15:30 | コラム

  今日の菊(コラム)


  指に入る風はや寒し今日の菊 嵐雪

 今朝は今年はじめての秋の涼しさ。今日九月九日は重陽の節句(菊の節句)・重陽節。
中国ではこの日、菊を賞で、茱萸(日本では「春黄金(はるこがね)」、秋にはグミによく似た赤い実を付けることから「秋茜(あきあかね)」とよぶ)を袋に入れて(あるいは髪に茱萸の実を挿して)丘や山に登ったり、菊の香りを移した菊酒を飲んだりして邪気を払い長命を願うという風習があった。元は晩秋の頃の行事という。
 日本では「九月十五日敬老の日」の制定にはこの意味合いが生かされているともいう。
俳句の季語は、重陽・重九・菊の節句・菊の日・今日の菊・菊酒・重陽の宴・菊の宴。

 重陽の名作、三首をあげる。

  九月九日憶山東兄弟  王維
 獨在異鄕爲異客,
 毎逢佳節倍思親。
 遙知兄弟登高處,
 徧插茱萸少一人。
  九月九日山東の兄弟を憶ふ
 独り異郷に在りて異客と為り、
 佳節に逢ふ毎(ごと)に倍(ますま)す親(しん)を思ふ。
 遥かに知る兄弟の高きに登る処、
 遍(あまね)く茱萸(しゅゆ)を挿(さ)して一人少なきを。

  登高  杜甫 
 風急天高猿嘯哀,
 渚淸沙白鳥飛廻。
 無邊落木蕭蕭下,
 不盡長江滾滾來。
 萬里悲秋常作客,
 百年多病獨登臺。
 艱難苦恨繁霜鬢,
 潦倒新停濁酒杯。
  高きに登る
 風急に天高くして猿嘯(な)くこと哀し、
 渚(なぎさ)清く沙(すな)白うして鳥飛び廻る。
 無辺の落木蕭蕭(せうせう)と下(くだ)り、
 不尽の長江滾滾(こんこん)と来(きた)る。
 万里悲秋常に客(かく)と作(な)り、
 百年多病独り台に登る。
 艱難苦(はなは)だ恨む繁霜の鬢、
 潦倒(れうたう)新たに停(とど)む濁酒の杯。

  九日齊山登高  杜牧
 江涵秋影雁初飛,
 與客攜壺上翠微。
 塵世難逢開口笑,
 菊花須插滿頭歸。
 但將酩酊酬佳節,
 不用登臨恨落暉。
 古往今來只如此,
 牛山何必獨沾衣。
  九日斉山に登高す
 江は秋影を涵(ひた)して雁初めて飛び、
 客と壼を携えて翠微(すいび)に上(のぼ)る。
 塵世口を開いて笑ふに逢い難く、
 菊花須(すべか)らく満頭に挿して帰るべし。
 但だ酩酊を将(もっ)て佳節に酬(むく)い、
 用いざれ登臨して落暉を怨(うら)むを。
 古往今来只だ此(かく)の如し、
 牛山何ぞ必ずしも独り衣を沾(うるお)さん。
             (二〇〇八・九・九)
# by teinen-t | 2009-11-28 15:29 | コラム

  萩の開花(コラム)


 庭の萩が今年は三回目の開花。今までも二度咲きはしていたが、三度咲きは初めてのこと。六月始めと七月に咲いて刈りつめたらこの九月にまた咲いたのだった。気候によるのであろうか。
  首あげて折々見るや庭の萩 正岡子規
  萩の風何か急(せ)かるゝ何ならむ 水原秋櫻子
  萩にゆれ風にゆれ蝶定まらず 姫野丘陽
  低く垂れその上に垂れ萩の花 高野素十
  打水や萩より落ちし子かまきり 高野素十
  萩もまた人やさしやと思ふらん 後藤夜半
 萩といえば秋の季語。萩・萩の花・白萩・小萩・山萩・野萩・こぼれ萩・乱れ萩・萩原・萩叢・萩刈る、萩月、などがある。
 しかし萩は一年中愛されていて、春の季語としては、萩根分・萩植う。夏の季語として、夏萩・青萩・萩若葉・さみだれ萩。冬には、枯萩・萩枯る、がある。
               (二〇〇八・九・七)
# by teinen-t | 2009-11-28 15:28 | コラム

  「桃夭」(コラム)


 今朝は小雨が降るからか、思いのほか涼しい。
  露草の三輪咲きて今朝の露
  通学の声響きけり萩濡るる
  雨に揺る桃の実ありて門開く
 浦安のシェラトンで姪の結婚式があった。雨も止んで心地よい気候のなか心温まる披露宴になった。窓からの夕暮れの海の景もマッチしていた。

  「桃夭」  『詩経』 周南
桃之夭夭  桃の夭夭(えうえう)たる
灼灼其華  灼灼(しやくしやく)たる其の華
之子于歸  之(こ)の子、于(ゆ)き帰(とつ)ぐ
宜其室家  其の室家に宜しからん

桃之夭夭  桃の夭夭たる
有蕡其實  蕡(ふん)たる其の実有り
之子于歸  之の子、于き帰ぐ
宜其家室  其の家室に宜しからん

桃之夭夭  桃の夭夭たる
其葉蓁蓁  其の葉、蓁蓁(しんしん)たり
之子于歸  之の子、于き帰ぐ
宜其家人  其の家人に宜しからん

・夭夭:木が若く盛んなさま。娘の若々しさを暗示する。
・灼灼:花の燃え立つように美しく輝いているさま。
・于歸:ここにとつぐ。ゆきとつぐ。嫁ぐ。
・室家:嫁いで行って作る家庭。
・蕡:実の充実したさま。
・家室:室家に同じ。
・蓁蓁:葉の茂るさま。

 これは「詩経」のなかで最も親しまれている詩で、中国の周の南方一帯で歌われた歌謡です。祭祀の歌というか、結婚の祝儀歌で、嫁ぎゆく娘の幸福を祈るものだったようです。「桃」は、娘の若々しい美しさの象徴と一般に解釈されていますが、それはまた、「神聖な働きを持つ実・樹木」でもありました。桃の邪悪なものを祓い寄せ付けない力に祈りを込めている歌といえます。現代でも結婚式で詠われることの多い歌です。育て上げた娘を、嫁がせる父親の祝福と寂しさの入り交じった気持ちが伝わってきます。嫁ぎ先の夫からは勿論のこと、家中の人たちから喜ばれる妻として、 明るい家庭をつくって欲しいという願いはいつの時代も同じものでしょう。
              (二〇〇七・九・一)2007.09.01
# by teinen-t | 2009-11-28 15:26 | コラム




定年後の句作と駄文
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