昨夜流星を見てみようかと外にでて夜空を眺めたがあまりの寒さにすぐ部屋に入ってしまった。が、星は満天に輝いていた。
林道を歩けばすすきも枯れていて冬枯れの山の雰囲気である。庵の裏の川沿いに紅葉が少し残っているところを見つけたばかりでやはりもう何処も冬になってしまった。陽射しがあれば暖かく枯草に腰を降ろしてひなたぼっこもできるが、それも一時、風が吹いて来るとそれはまさに冬の風であった。
隣の別荘の庭の草が刈られ新たに木が植えられていて、最近使われている様子だったが、今日人の気配に出てみると初めて会う人でこれまで来ていた人の姉という。楽しみと管理の厄介さとを語っていたが、まあそれが別荘というものだからやむを得まい。こちらも剪定草苅落葉掃きをとりあえず格好がつくくらいに済ませた。 (二〇〇七・一二・一六)
杉戸の庵に来て、一昨日、70本の竹を買ってそのうちの50本で竹垣を作り替えた。切り揃えて棕櫚紐で結わくだけだが、途中で紐が足らなくなった。しかしこれだけの作業で腰が辛くなった。
それで昨日は足腰が痛く、何もできない。雨模様でもあったので、ひたすら本を読んでいた。朝読み出して今朝まで二六時間、この間数時間毎の食事だけはしていたが風呂にも入らず読んでいた。こんなに集中したのは久方ぶりであった。 (二〇〇七・一二・二四)
正月に咲かせようと部屋に入れておいた盆栽の梅が気がついたら早くも咲きそろっている。庭の豊後梅は蕾の気配も無い。
梅で思い出す歌に
勅なればいともかしこし鶯の宿はと問はばいかがこたえむ
があるが、これは大鏡に貫之の娘の歌としてが記されている、「鶯宿梅」の故事でもある。(恐れ多くも天皇のご命令ですので、この梅は献上いたします。でもこの梅を棲家とする鴬がまた今年もきて「私のお家は?」と聞いたら、私は何と答えればよいのでしょうか。)
その梅を「鶯宿梅」と名付けて娘に戻し、代わりに桜を植えたという。これが今日の「左近の桜」になったという人がいるが、紫宸殿ではないのだから疑わしく、はっきりしない。 (二〇〇七・一二・二六)
このブログを始めてから俳句を試み始め、ネット句会に参加するようになって一年半経つ。なかなかわかったという感じがしない。もう少し続けることだろうと自分に言い聞かせ、これが来年に継続することの一。
さて、この暮れに保険庁から「年金請求書」が送られてきた。これで来年からは、社会から「老齢」と定義されてしまうのかと悟る。 (二〇〇七・一二・三一)